ジャズの歴史とニューオリンズジャズ
1916年のイーグル・バンドのみなさん。一流のバンド
だったらしいけど、音源は残ってません。ジャズは19世紀の終わり頃に、米国南部の港町ニューオリンズで、その原形ができたといわれています。

ニューオリンズでは18世紀から、プランテーションを支えた黒人達による週末のコンゴ広場(Congo Square)のパーカッションダンス(アフリカ系・中南米系)が盛んに行われており、それが観光名物になっているほどでした。またクレオール(黒人とフランス系白人との混血)によるヨーロッパ風のブラスバンドや管弦ダンスバンドも盛んでした。

そして南北戦争が終了し(1865)、不要になった軍楽隊の楽器が安く出回りブラスバンドが乱立、これが19世紀末に流行していたピアノ音楽であるラグタイムと相互に影響して、リズミカルなダンス音楽になりました。これがジャズの発祥とされています。ヨーロッパのメロディーや和音と、アフリカのリズムとの融合です。

動画1:フェイト・マラブル(Fate Marable、ピアノ)率いる名門ダンスバンドの猛烈な録音(1924年)。ラグタイム曲を忠実に演奏しておりアドリブ(即興)の要素はないが、タイトなリズムと目まぐるしい展開は異様な華やかさ。



動画2:ジャズ録音として最初のヒットを放った白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズバンド(Original Dixieland Jazz Band、1917年)。曲は「貸し馬の厩舎のブルース」、第3テーマでは鶏・馬・牛の鳴き声を楽器で表現している。ちなみに「最古の」ジャズ録音かは議論がある模様(詳細こちら=英文)。

1930年頃?のパンチ・ミラーさん。やがて1900年ごろにはニューオリンズの歓楽街(娼館街)ストーリーヴィルを中心に、ジャズが踊りのショウや社交ダンスの伴奏として盛んに演奏されるようになります。録音音源のない時代ですので、近隣の演奏家は引っ張りだこになり、地域にはバンドマンがあふれ、親兄弟だけでバンドが出来るような音楽一家がいくつも誕生するほどでした。

しかし、アメリカの第一次大戦参戦(1917)に伴い、性病蔓延を恐れた政府によりストーリーヴィルが閉鎖され、演奏の仕事が激減、演奏家たちは職を求めて移住を始めます。これによってジャズの中心地はミシシッピ川を北上してシカゴへ、そしてニューヨークへと移ります。

動画3:当時のジャズ王キング・オリバー(Joe "King" Oliver、コルネット)が若きルイ・アームストロング(コルネット)をシカゴに呼び寄せた、バンド絶頂期の録音(1923年)。絶妙な編曲と各メンバーのこなれた変奏で、乗りまくりの好演。

愛称「サッチモ」で知られるジャズの王様ルイ・アームストロング(Louis Armstrong,トランペット、1900-1971)は、こうした進出組の中の若手の一人であり、斬新な即興変奏(例:Wild man blues - 1927)で表現の幅を一気に拡張して、ジャズに最大の影響を与えました。

その後のスウィング・ビッグバンドの大流行(1920年代末〜40年代)、そしてビバップと呼ばれるモダンジャズの誕生(1940年代)は、今日のジャズの姿を決定的にしました。このあたりの主流のジャズの歴史については、すでに良い解説が多数あるので(→Google「ジャズ 歴史」検索結果)、そちらを読まれると良いでしょう。

選挙カーでジャズ!さて、すっかりジャズの街になったニューオリンズでは、シカゴに行かなかった演奏家や、行っても戻ってきた演奏家たちが、普段は別の仕事をしながら(港湾荷役・郵便配達員・職人・警官・保険業など)、お祭りや週末のダンスホールに、バーベキューパーティーに、葬式に、はたまた商店や選挙の宣伝にと、あらゆる機会で雇われるようになります。

特に葬式での演奏は「ジャズ葬式(jazz funeral)」として知られた独特の風習として根付きました。教会から墓地(土葬)までの行進ではスローテンポの曲が荘厳に演奏されますが、墓地からの帰り途には、苦難に満ちた現世からの解放を祝福するように、一転してアップテンポの曲が躍動的に演奏されます。これに近隣住民の熱狂的な踊りの列が加わって街まで行進します。

また娯楽のまだ少ない当時、社交ダンス(ペアダンス)は週末の夜のローカルな娯楽として、1950年代の末までにわたって長く流行しました。チャールストンやリンディホップなど、米国発祥の躍動的なスウィングダンス(日本で言うジルバの起源となるもの)が好まれたようです。

このようにして、当地に残された分厚いミュージシャン層と、地元コミュニティでのジャズ葬式の定着、そして社交ダンスの長い流行により、古いスタイルのジャズが実用され続けることになります。こうしてニューオリンズのジャズは、鑑賞対象として先鋭化されてゆく本流のモダンジャズとは無関係に、地域に根づき、独特の発達をとげて行ったのです。

自作の「バズーカ」を吹くヌーン・ジョンソンさん。写真と本文は関係ありませんけど、クリック!演奏された曲は、ラグタイム、マーチ、賛美歌、ブルース、戦前のミュージカルソング、クレオール民謡など。

演奏スタイルはコマーシャルなものではなく、またアクロバット的な演奏でもありませんが、黎明期のジャズの形式にゴスペル色とブルース色が濃厚に加わり、南部らしい豊かな歌心と生命力、説得力のある節回し、タイトなリズムとおおらかなグルーヴ感を特徴としています。

そして各楽器の即興的なメロディーが互いに独立して進行しながら、インタープレイ(対話的演奏)が繰返し展開される様子は、長く愛された音楽ならではの独特の魅力があり興味が尽きません。

最盛期(1950年代?)のユーレカ・ブラスバンド。やがてニューオリンズジャズは、ジャズの原点の姿を残すものとして四半世紀ぶりに「再発見」され(1944年)、いわゆる「ニューオリンズ・リバイバル」として脚光を浴びます。

さらに、地域でのダンスの流行が終わり演奏家の職が失われつつあった1960年には、ジャズ愛好家により「プリザベーション・ホール」(Preservation Hall; 保存館)が設立され、ジャズファンや観光客向けのセッションが、演奏家らの新たな活躍の場となりました。

1960年代から1970年代にかけては、50代から70代の古老黒人演奏家らによる全米・欧州公演が人気を集めて若干の流行をひき起こし、欧米や日本で多くの学生バンドが生まれました。また地元ニューオリンズでは多くの演奏が録音され、地元の幾多のレコードレーベルによって観光客向けのレコードが多数制作されました。

代表的なプレイヤーはバンク・ジョンソン(Bunk Johnson,トランペット)、ジョージ・ルイス(George Lewis,クラリネット)、キッド・トーマス(Kid Thomas Valentine,トランペット)、パーシー・ハンフリー(Percy Humphrey,トランペット)などです。

特にジョージ・ルイスは1963年から何度も来日公演を行い、真摯なプレイで全国のファンに感銘を与えたとのこと。

動画4:リバイバル期のニューオリンズジャズの代表格、ジョージ・ルイス(クラリネット)のバンドの全盛期を捉えた貴重な映像(1953年)。この映像はなんと加藤平祐さん(cl)が2012年に米国San Francisco Bay Area TV-Archiveで発掘したとのこと。早世したローレンス・マレロ(バンジョー, 1900-1959)が動いている映像は他に存在しないのではないか。

動画5:土着系(あるいはPreservation Hall系)の代表格、キッド・トーマス(トランペット)の バンド(1965年)。ジャズの表舞台の歴史から完全に隔絶された武骨な演奏スタイルは驚きをもって迎えられたであろう。まさに生きた化石、シーラカンスの風格。

動画6:確かな演奏技術を持ったクレオール系(あるいはDixieland Hall系)を代表する、フロッグ・ジョセフ(Walden "Frog" Joseph、トロンボーン)らの冴え渡った演奏(1964年)。流麗すぎるその演奏スタイルは土着系の人達に比べてインパクトに欠けるためか、脚光が当たることが少ないが、完成された表現力としなやかなスイング感はもっと評価されて良いと思われる。

動画7:ウイリー・ハンフリー(クラリネット、兄)とパーシー・ハンフリー(トランペット、弟)の兄弟を中心としたプリザベーション・ホール・ジャズバンドは盛んに全米ツアーを行った。70代にかかった古老たちの元気な演奏と、熱狂する観客(1973年)。

動画8:娼館街時代の妖しい雰囲気を伝えるおばあちゃんピアニスト、スイート・エマ・バレット(Sweet Emma Barrett、1897-1983)。ガーターに鈴をつけた脚でリズムを取るお色気ギミック?で「ベル・ギャル」と呼ばれ(別動画)、左半身不随となった晩年も片手でピアノを弾き続けて名物的存在であった(1982年)。

プリザベーションホールで熱演する名物男、キッド・シークさん。1980年代かこのようにして花開いた「ニューオリンズ・リバイバル」ジャズも、R&Rやソウルミュージックの出現によるポピュラー音楽の多様化と、ディスコダンスの出現による社交ダンス(ペアダンス)の衰退とにより、生活に根ざしたダンス音楽としての存在意義が次第に薄れ、1960年代には既に、ジャズファンや観光客向けの懐古的な観賞用音楽となってゆきます。

また生まれが1900年代や1910年代である全盛期の演奏家も、1970年代から徐々に亡くなり始め、これによりニューオリンズジャズは消えてしまう運命かと思われました。

マルディグラで黒人街をパレードするオリンピアブラスバンド。1987年?森下撮影これに危機感を覚えたダニー・バーカー(Danny Barker,バンジョー・ギター)らの熱意によって、教会を基盤とした若者によるブラスバンドが結成され(1971年)、これを母体として、現代的技術を身につけた若手演奏家が次々と世に出ることになります。

こうした若手演奏家たちはまずオリンピア・ブラスバンド(Olympia Brass Band)のような伝統的なブラスバンドに加わり、これにR&Bやソウルの楽曲と感覚を採り入れ始めました(Mick Burns著 "Keeping the Beat on the Street" P.35)。そして1980年代には、ファンクとモダンジャズの要素を大胆に導入したダーティーダズン・ブラスバンド(The Dirty Dozen Brass Band)やリバース・ブラスバンド(The Rebirth Brass band)が登場して注目を集め、消えかかった伝統に革新の火が一気に広がりました。

動画9:The Dirty Dozen Brass Band, 1977

また、いずれも音楽一家出身であるウィントン・マルサリス(Wynton Marsalis,トランペット)やニコラス・ペイトン(Nicholas Payton,トランペット)などは、モダンジャズの分野でニューオリンズの伝統を踏まえた新しいジャズの創造を試みています。

他方ドクター・マイケル・ホワイト(Dr. Michael White,クラリネット)、フレディー・ロンゾ(Freddie Lonzo, トロンボーン)、エヴァン・クリストファー(Evan Christpher,クラリネット)らは、アカデミックともいえる伝統的スタイルの追究から、ユニークな現代型のスタイルを創りつつあります。

そして、ファンク色を強めた数々のブラスバンドは、黒人街のクラブでマッチョなキャラクターを確立し、ヒップホップやラテンなどと融合しながら、ちょっと悪い感じの娯楽として地元の若年層に圧倒的な人気を得ているようです。

動画10:ファンク色の強いホットエイト・ブラスバンド (2007)。フジロック'13にも出演した(→その動画)。

動画11:伝統あるプリザベーションホール・ジャズバンドもついにオリジナル曲を作り始めた(2013年)。ちなみにtpのマーク・ブラウドはJohn "Pickey" Brunious, Sr.(tp)の孫で、Wendell Brunious (tp)やJohn Brunious, Jr.(tp)の甥、しかも初期デューク・エリントン楽団の大御所Wellman Braud (b)とは遠戚とのこと。

動画12:若い世代の移住者によるバンドも増えつつある模様。動画のチューバ・スキニー(Tuba Skinny; 2015年)はファンクやモダンジャズの影響を排除し、古典に集中して濃密な演奏を展開しており興味深い。希少楽曲を執拗に発掘するリサーチ能力と高度な演奏力はむしろ現代的。


踊りながらブラスバンドについていく御近所の人々。「セカンドライン」とはこういう人達を指す語。1987年?森下撮影ともあれニューオリンズは、現在でもお葬式でジャズが演奏されるような音楽の街であり、観光の中心地である旧市街フレンチ・クォーターには沢山のジャズバーが建ち並び、中でもプリザベーションホールでは、往時の演奏家の息子や孫の世代による昔ながらのスタイルの演奏を毎晩楽しむことができます。


動画13:感動的なニューオリンズのジャズ葬式(2007年)。教会からの出棺の様子。墓地(土葬)まではスローテンポで、帰りはアップテンポで演奏される(動画は前者)。高く掲げた棺を揺らしているのは、死者に最後のダンスをさせようとの意図らしい。



ニューオリンズジャズの3類型(私見)

以上のような100年以上にわたる歴史があるため、「ニューオリンズジャズ」と一口に言っても、年代に応じた傾向の変化があります。具体的には、概ね以下の3つの類型に分けてよいと思います。

[1]アーリー・ジャズ
最も古い1920年代以前の演奏スタイル。バンドごとのオリジナル曲やオリジナルの編曲が多い。編曲は古めかしいが非常に凝っており、よく聴くと大変スリリングである。趣味性と懐古感は高いが、入念なリハーサルが必要で、ジャムセッション向きでない。クラリネットやバンジョーがほぼ必ず入り、多くの場合低音にスーザフォンが使われる。電気楽器は使われない。 (上掲の動画1-3, 12)

[2]ニューオリンズ・リバイバル
ニューオリンズジャズのうち最も代表的なものと思われる、1944年〜1960年代にかけてのニューオリンズ現地での演奏スタイル。編曲が簡易であり、メロディの美しさが強調されていて聴きやすい。定番の曲の定番編曲を使いまわす傾向も強いため、比較的カジュアルに演奏でき、ジャムセッション向きである。ひなびた懐古感が支配的。クラリネットやバンジョーがほぼ必ず入り、電気楽器は使われない。1960-70年代に欧米や日本で多数生まれた学生バンドもこの系統のものが多いが、当時から約50年が経過し演奏者とファンが高齢化している。映画監督ウディ・アレンのバンド(動画)もこのスタイルの典型例。(上掲の動画4-8)

[3]コンテンポラリー・ニューオリンズ
1980年代のダーティーダズン・ブラスバンド以降に相当する、ファンク色の強い演奏スタイル。ソウルミュージックに近く、モダンジャズとファンクの素養と演奏技術が必要。トランペットやサックスなどの管楽器を主役としつつも、エレキギター、エレキベース、キーボードが入ることも普通にある。しばしばクラリネットやバンジョーが排除され、懐古感が払拭されている。(上掲の動画9-11)

これらのうち[1][2]を「トラッド」と呼ぶこともあります。現在活動している国内外のグループは、たいてい[2]か[3]、あるいは両者の中間あたりを狙っているようです。当バンドは概ね[2]で、たまに[1]に手を出したりしています。


ニューオリンズジャズに関する情報源
(いずれも英語です)

WWOZ New Orleans Live Broadcast ←ウェブラジオ。コンテンポラリーからトラッドまで一日中流してます
The Red Hot Jazz Archive ←演奏家の紹介(無料音源つき)。アーリー・ジャズの音源が充実
Jazzology - New Orleans, Louisiana ←CDレーベル。リバイバル期のローカルなレーベルを端から買い取って再発
Jazz Crusade Records ←CDレーベル。リバイバル期のマイナーな音源がなかなか充実

C-jam New Orleans jambook ←主要な楽曲のコードブック。無償で公開した奉仕精神に驚嘆。楽譜はBb楽器用に移調されているので注意
Jazz Pilgrims' chord book ←こちらもコードブック。やや癖があるが収録曲数が多い



ヨーロッパのニューオリンズジャズバンド

・ごくたまに、ヨーロッパのバンドさんから、当バンド宛にメールが届くことがあります。ニューオリンズジャズは現在でも欧州、とくにイギリス・オランダ・ドイツで結構さかんらしい。かのシドニー・ベシェ(ss,cl)も晩年はパリに住んでいたそうだし、良い土地柄なんだろうと思います。ジャズボイラーズでも是非行ってみたいものですが、待望 のワールドツアーはいつになることやら・・・。

・ヨーロッパのバンドさんたちは1945年以降のリバイバル期の音というよりは、1920年代のオリバーやモートンの音を目指しているバン ドが多いようであり、現在のニューオリンズの音ともまた違った、とぼけた面白さがあります。オランダとかの白人さんが演奏するニューオリンズジャズは、いわばフランス人の柔道大会みたいなもので、ルールとスピリットを一生懸命に導入していながらも、ローカルなゆるい解釈が味です。俺ら東洋人がやるニューオリンズジャズもまあ、そういうもんだろうと思いますし?せっかくの縁なので幾つかご紹介を。

Hot Revival Stompers (蘭)
 比較的若手らしいが、どっしりしたリズムが印象的なリバイバル系バンド。Captain John Handyみたいなasや、Sammy Pennみたいなdsが居たりして楽しい。英国にツアーするなど、結構売れっ子である模様。メールくれたJeroenくん(cl)は脱退しちゃった模様。
・どうも07年11月に活動停止された模様、残された音源動画を発見。

Sweet Mary Cat (仏)
 リーダーのds(女性!)がLouis Barbarinみたいで素晴らしい、リヨンのリバイバル系バンド。非ネイティブでドラムの上手い人は少ないんですよ。バンドは独・英・加など多彩な出身だそうです。サイトは仏語ですが、それらしいリンク(「EXTRAITS」とか)をたどってサンプルを聴きましょう。

Circus Square Jazz Band (蘭)
 結成1975年の歴史あるバンドとのこと。オリバー、モートンなどの古典からLu WattersやTurk Murphyふうの西海岸スタイル、George Lewisふうのリバイバルまでを手広くカバー。技術は高いようですがどことなくヘンな気配がオランダふうで?いいかんじです。「clips」頁からサンプルが聴けます。
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